天智天皇は大化の改新を成し遂げ、律令国家の礎を築いた古代最大の英雄のひとり。百人一首はこの帝の歌で始まる(そして2番は娘・持統天皇——親子リレーの開幕である)。収穫期の田の傍らに建てた仮小屋(かりほの庵)は、実りを鳥獣や盗人から夜通し見張るためのもの。粗く編んだ苫屋根は露を通し、番をする者の袖を濡らした。
帝が自ら田の番をしたはずはない——これは、いちばん高い場所にいる人が、いちばん低い庵で袖を濡らす名もなき民の夜を想った歌である(後世の仮託説もあるが、だからこそ「民を想う帝」の理想として巻頭に置かれた)。為政者の歌でありながら、視線は徹底して働く者の袖の露にある。
現代の「かりほの庵」を深夜の警備室に置いた。誰かが眠る夜を守って袖を濡らす人は、千三百年後の今夜もどこかにいる。「いちばん高い場所にいた人が いちばん低い庵の露を歌った」(Bridge)はこの歌の構造そのものであり、「異常なし」と書ける幸せ・娘の似顔絵・「おはよう」の中の家路は、露に濡れる袖の現代語訳である。
秋の田(天智天皇・百人一首1番)/ Garu JP
日付が変わる頃に 始まる仕事
タイムカード押して 制服に着替える
眠る街から 夜を預かって
モニターの灯りに 腰を下ろす
十二階のビルは 息をひそめて
非常口の緑が ぽつんと灯る
懐中電灯と 缶コーヒーひとつ
足音だけが 相棒の廊下
昼間の誰かの 忘れ物みたいに
点きっぱなしの デスクの明かり
ひとつずつ消して 回るたびに思う
この街の眠りを 預かってるのは
名前も知られない 僕らなんだと
秋の田の かりほの庵の
粗い屋根から こぼれる夜露
誰かのために 濡れる袖は
昔も今も 変わらないまま
夜のいちばん 深いところで
起きている人が きっといる
君が安心して 眠れる夜は
誰かが黙って 支えてる
今夜もどこかで 袖を濡らして
わが衣手は 露にぬれつつ
モニターの灯りで 飲む二杯目は
少しぬるめの コーンポタージュ
デスク脇の カレンダーに貼った
娘が描いた 下手くそな似顔絵
「パパのしごとは かっこいいんだよ」
参観日には 行けなかったけど
「おつかれさま」を 言う人はいない
それでも朝は 僕から始まる
夜明け前の空が いちばん暗いと
知っているのは 起きてる者だけ
東の空に 群青がにじんで
世界がもうすぐ 目を覚ます
その一番前の 席に座ってる
秋の田の かりほの庵の
苫のすきまに 星が流れる
誰も知らない 仕事の誇り
濡れた袖にも 乾く日が来る
交代の時間 引き継ぎのノート
「異常なし」と 書ける幸せ
君の今日が 何ごともなく
始まることが 僕の勲章
誇りのしるしが 袖で光る
わが衣手は 露にぬれつつ
いちばん高い 場所にいた人が
いちばん低い 庵の露を歌った
玉座の上から 見えていたのは
名もなき誰かの 濡れた袖
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ
夜が明ける 街が目を覚ます
僕の一日が 終わっていく
すれ違う人の 「おはよう」の中を
濡れた袖のまま 家路を歩く
今日も誰かの 夜を守れた
わが衣手は 露にぬれつつ
わが衣手は 露にぬれつつ……
わが衣手は 露にぬれつつ……