和泉式部は平安中期・紫式部や清少納言と同時代の歌人。為尊親王・敦道親王の兄弟と続けて恋に落ち、その顛末を『和泉式部日記』に残した——**恋の遍歴で都中の噂になった、情熱の人**である。紫式部には「けしからぬ方こそあれ(素行はいかがなものか)」と評され、藤原道長には「浮かれ女」とからかわれた。それでも彼女の歌は、恋の歓びと痛みを詠ませたら当代随一と誰もが認めた。
この歌の詞書には「心地例ならず侍りける頃、人のもとに遣はしける」——体調がすぐれず心細かった頃、恋人のもとへ送った、とある。**死を予感した人が、あの世へ持っていく思い出のために、もう一度の逢瀬を願う**。普通なら神仏に祈る場面で、彼女は恋人に手紙を書いた。「この世のほか(あの世)」まで恋を持っていこうとする発想の転倒に、恋に生きた人の凄みが詰まっている。
現代の主人公も病室の夜、「元気なふり」の返事だけ打って本当の言葉を下書きに眠らせている。前曲「玉の緒よ」(式子内親王)が言えないまま秘め続ける恋なら、この曲は**迷いを捨てて「逢いたい」を送る恋**——対になる二曲である。Bridgeでは彼女を「恋に生きて恋をうたった人」と間接紹介し、「祈りの言葉じゃなく『逢いたい』と たった一言あなたへ書いた」——原詩が実際に送られた恋文である事実をそのまま歌にした。冒頭の囁き「逢いたい——」は、ラスサビで今夜送信されたその一言だったと分かる円環になっている。
あらざらむ(和泉式部・百人一首56番)/Garu JP
逢いたい——
消灯のあとの 白い天井
窓の外には 街の灯り
元気なふりの 返事を打って
本当の言葉は 下書きのまま
強がりも 気休めも
もういらない 気がしたの
今夜だけは 正直になる
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
いつか消える 私だとしても
あなたといた日々は 消えないから
最後の願いは 欲張らない
たったひとつで いいの
もう一度 その声で 名前を呼んで
もう一度だけ 逢いたい
初めて笑い合った 帰り道とか
何でもない日々ばかり 浮かんでくる
きれいな景色より 最後に見たいのは
あなたのその顔だと 気づいてしまった
ためらいも 遠慮も
置いていく 決めたの
怖いのは 逢えないことのほう
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
神さまに 願うより先に
あなたに直接 願いたい
天国に持っていける ものがあるなら
宝石も 花束も いらない
あの日の帰り道の 夕焼けと
あなたの笑う顔が いい
恋に生きて 恋をうたった人は
病の夜に ペンをとった
祈りの言葉じゃなく 「逢いたい」と
たった一言 あなたへ書いた
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
迷って消した 下書きのかわり
たった一言 今夜送る
ふるえる指で 送信を押した
返事はすぐに 来なくていい
この願いごと 抱きしめて眠る
逢いたい—— ただ 逢いたい
今ひとたびの…… 逢ふこともがな……