藤原朝忠は平安時代中期の貴族で、三十六歌仙のひとり。笙の名手としても知られる。この歌は、村上天皇の天徳四年(960年)に宮中で開かれた「天徳内裏歌合」で、「逢ふこと」という題を与えられて詠まれた一首。40番「忍ぶれど」と41番「恋すてふ」が名勝負を演じたのと同じ歌合である。目の前に失恋があったわけではない。それでも千年のあいだ、恋の歌として読まれ続けてきた。題を与えられて書かれた歌が、実際に苦しんでいる人の言葉として届いてしまう。歌合とは、そういう技術を競う場だった。
逢わなければよかった、と言っている。けれどこの歌の主眼は後悔ではない。「人をも身をも」、相手のことも自分自身のことも、両方恨んでいると認めているところである。相手だけを責めず、責める自分も一緒に数えている。そして「なかなかに」(かえって)の一語が、この歌をただの後悔から引き離す。逢わなければ穏やかだった。でもその穏やかさは、相手を知らないままの穏やかさである。それを本当に望んでいるかどうかは、歌は最後まで言わない。
この歌を読んだとき、いちばん残したいと思ったのは「逢わなければよかった」の裏側でした。一度だけふれた指先から、逢えない夜を数える日々が始まる。足りないと感じるのは、満ちていた日があったからです。逢わなかった世界の自分は、たしかに穏やかに眠れている。でもその人は、あなたの名前さえ知らない人です。それを本当にうらやましいと思えるかどうか。そこにこの歌の本当の問いがあると考えました。だから同じメロディを二度使い、サビの最後の一行だけを「それでも 逢ってしまった」から「それでも 逢ってよかった」へ裏返しました。最後のサビでは、恨みさえあなたがくれたものだと受け止めて、ふたつの言葉を並べて置いています。後悔を打ち消すのでも、美化するのでもなく、両方あるままで終わらせたかったからです。
逢ふことの(拾遺集/中納言朝忠・百人一首44番)Garu JP
はじめから 知らない人のままで
すれちがって 終わっていたなら
名前も 声も 手のあたたかさも
わたしの中に 無かったのに
知らないものは 欲しくならない
無いものは 数えられない
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
一度も 逢わずに いたのなら
あなたも わたしも 恨まずにいられた
それでも 逢ってしまった
あの日 ふれた 指先から
逢えない夜を 数えはじめた
名前も 声も 手のあたたかさも
わたしの中に 増えてしまった
知ったものは 欲しくなる
足りないのは 満ちた日が あったから
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
一度も 逢わずに いたのなら
あなたも わたしも 恨まずにいられた
それでも 逢ってよかった
逢わなかった世界の わたしは
今夜も よく眠れているだろう
恨むことも 数えることもなく
あなたの 名前も 知らないまま
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
恨むことしか できなくても
恨みさえ あなたが くれたもの
逢って しまった
逢って よかった
なかなかに