俊恵法師は平安時代末期の僧で歌人。父は源俊頼、祖父は源経信と、三代続けて百人一首に歌が選ばれている。京都・白川の自分の住まいを「歌林苑」と名づけ、身分を問わず歌人たちが集まる歌会を開いた。鴨長明はその弟子にあたる。この歌は『千載和歌集』恋二に入る。僧である作者が、来ない恋人を待つ女性の立場になって詠んだ恋の歌。
「夜もすがら」は、ひと晩じゅう。「物思ふころは」は、恋に思い悩んでいるこのごろは。「明けやらで」は、夜がなかなか明けきらないで。「閨のひま」は、寝室の戸のすき間。来ない人を待ちながら眠れずにいると、夜はいつまでも明けない。せめて朝の光が差しこめば、この長い夜も終わるのに、すき間さえ光を入れてくれず、冷たく思える。あの人を責める言葉はひとつもなく、すき間に八つ当たりするしかない、行き場のない思いが詠まれている。
この歌に惹かれたのは、来ない人を責めるかわりに、戸のすき間を「つれない」と言ってしまうところでした。本当に冷たいのが誰なのか、待つ人はいちばんよくわかっているのだと思います。歌詞では、その一夜を今の部屋に移しました。最後の連絡で止まったままの画面、玄関に点けておいた灯り、秒針の音。長い夜が明けて朝の光が差しこんでも、心は温まらない。原歌の「すき間さえ冷たい」をもう一歩進めて、待つのをやめるまでの一夜を、秒針が刻み続ける真夜中のネオソウルとして歌いました。
夜もすがら(千載集/俊恵法師・百人一首85番)Garu JP
灯りを 消してから 何度 時計を 見ただろう
「今夜 行くね」で 止まった 画面
枕に 耳を つけると
自分の 鼓動ばかり 大きい
玄関の 灯りは つけたまま
足音が するたび 息を 止める
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
閨のひまさへ つれなかりけり
早く 朝に なればいいのに
窓の すきまは まだ 夜の色
夜もすがら 秒針だけが 歩いてく
暗い部屋には 鼓動とわたし
冷めた お茶を 淹れなおして
読みかけの 本を ひらいても
同じ 一行を 何度も なぞる
しおりの 場所から 動けない
窓の すきまを 見るたびに
夜は まだ そこに 座ってる
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
閨のひまさへ つれなかりけり
いっそ 眠って しまえたら
夢でなら 会えるのに
夜もすがら まぶたが閉じて くれなくて
夢への扉 今夜は遠い
遠くで 始発の 音がする
すきまが 少しずつ 白んでく
朝は ちゃんと 来たのに
あなたは 来なかった
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
閨のひまさへ つれなかりけり
つれないのは すきまじゃない
差しこむ 朝日も 冷たい
夜もすがら 待ちつづけてた 玄関の
灯りをそっと 今消しにゆく
閨のひまさへ つれなかりけり