源宗于朝臣は平安時代前期の歌人で、光孝天皇の孫にあたる。皇族から源氏の姓を賜って臣下となったが、官位は思うように上がらず、不遇を嘆く歌を多く残した。三十六歌仙のひとり。この歌は『古今和歌集』冬に「冬の歌とてよめる」として入る。山里は、都から離れた山あいの住まいで、もともと人の訪れが少ない場所だった。
「冬ぞ寂しさまさりける」は、山里はいつも寂しいけれど、冬こそいっそう寂しさがまさる、という意味。「かれぬ」は、人の訪れが「離(か)れる」と、草が「枯れる」を一つの言葉に重ねた掛詞。冬になると、目に見える景色の草も、目に見えない人とのつながりも、同時に途絶えていく。訪ねてくる人がいない寂しさを、冬の景色に託して見つめている。
この歌に惹かれたのは、「かれぬ」という一つの言葉の中で、草が枯れることと、人が離れていくことが重なっているところでした。故郷を出て都会で暮らし、久しぶりに帰ってみると、待ち合わせた改札も、学校帰りの店も、一緒に過ごした友達も、もうそこにはいない。千年前の山里の冬と同じ寂しさが、今の帰省にもあると思います。けれど、離れていったのは町や友達だけでなく、自分のほうでもありました。会いたいと思える人がいた町だからこそ寂しい。その気持ちを宝物として抱えたまま、止まったままの名前に、もう一度「元気か」と声をかける。そんな冬の帰省の歌にしました。
山里は(古今集/源宗于朝臣・百人一首28番)Garu JP
年の瀬 最後の 仕事を 終えて
スーツのまま 乗り継いだ 最終列車
窓に 映る 疲れた 顔に はっとする
あの頃の 僕は どんな 顔で 笑ってた
降り立った 無人の 終着駅
待ち合わせた 通学の 改札
セピア色の 青春が 浮かぶ
みんな 遠くの 街へ 散らばった
閉じた パン屋の 色あせた 看板
秘密基地は ただの 空き地
実家へ 続く 雪の 道に
僕の 足あとだけが 残る
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば
帰れば 会えると 思ってた
何も 変わらず 待ってると
変わったのは 町だけじゃない
離れたのは 僕の ほうだった
卒業アルバムの ページを めくる
寄せ書きの 「また 遊ぼうな」
その 約束を 果たせないまま 何年も
季節だけが 先に 過ぎた
成人式で みんなが 写った 写真
僕だけが そこに いない
帰らなかった あの 冬を
今も ときどき 思い出す
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば
部活の 帰りに 寄り道した
坂の 上の 自販機の 灯り
今も 変わらず ともって いるのに
並んで 飲む 友は いない
会えないのは 寂しいけど
会いたいと 思える 人が
この 町に いたことが
僕の 宝物 なんだ
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば
自販機で 買った 缶の ぬくもりを
ひとりで 両手に 包んでる
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば
古い トークを ひらいて みよう
止まったままの 名前に 向けて
「元気か」って それだけで いい
雪が 溶ける 前に
人目も草も かれぬと思へば